「群衆に三輪車で突っ込んでいく少女とは」 ベトナムで私は考えた【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「群衆に三輪車で突っ込んでいく少女とは」 ベトナムで私は考えた【西岡正樹】

アンホイ島ナイトマーケットと夜景

 

「橋が壊れるのではないか、人がドミノ倒しになるのではないか」そんな思いが一瞬頭を過りましたが、それでも私は揺れ動く人の波に身を委ね、トゥボン川に掛かるアンホイ橋の上を流れる群衆と共に、アンホイ島に渡ったのです。人々の流れは、毎夜開かれる「ナイトマーケット」に向かっているようです。流れに身を任せていると、私の意志とは関係なく、ランタン(提灯)の光がまぶしい「ナイトマーケット」に足を踏み入れていました。

 この通りも、相変わらずの人の波です。ひょっとしたらホンアイ橋以上の荒波かもしれない。重なり合った体と体、自分の足を一歩踏み出すことさえままなりません。自分の意志ではなく、ただ人に背中を押されながら私の体は流れていきます。しばらく流れていると人との距離感が麻痺し、肩と肩が強く触れ合う衝撃さえも気にならなくなっていました。私は、ただ人波に流れている小舟なのです。

 圧倒的な数のランタン(提灯)に照らされ、僅かな隙間もないほどに重なり合った群衆の中にいると、一人でいることさえ忘れてしまいます。これは不思議な感覚です。予想できない人々の動きに巻き込まれ、意味の分からない言葉と聞き慣れない音楽が辺りを覆っています。このような幻想的な場所にいると、人はそうなるのでしょうか。

 

木に吊るされたランタン

 

 ところが、ここ数日「原チャリ」で走り続け、昨日もフエからバイクを走らせ、5時間かけてここまでやってきた私の体が、悲鳴を上げ始めました。もうここに長居することはできません。もはや私の体は自分の意志で動いているのではないようです。その時、本能のまま体は向きを変えたのです。

 来た道を戻ります。歩き始めて間もなく、再びアンホイ橋が見えてきました。すると同時に、三輪車に乗る子どもの姿が目に飛び込んできたのです。「おやっ」「どうした?」「なぜ君がそこにいるの」「ここにいて大丈夫なのか」頭の中で言葉が巡り始めたのですが、橋への動きを速めながらさらに目を凝らすと、歩道の上を動く三輪車に乗っているのは、驚くことに小さな女の子であることが分かりました。その光景を目の当たりにした瞬間、私は自分を取り戻したのです。

「親がきっといるだろうな」そんな思いを持ちながら三輪車に近づくと、小さな女の子(4、5歳)は、周りのことなど気にせず、少し前かがみになり必死にペダルをこいでいます。辺りには親らしい姿は見えません。「おかしいいな」「これからこの子はどこへ行くのだろう」そう思うと、私の目は「少女にロックオン」されてしまい、少女から離れられなくなってしまいました。すると、あろうことか少女は三輪車に乗ったまま歩道から本道に、そして人、人、人で溢れるアンホイ橋に向かって「ズンズン」と突き進んでいくではありませんか。

 少女の目の前には数えきれないほどの人、人、人が歩いているのです。様々な国の人たちは波になり、いくつかの大きな流れとなって前後ろから歩いてきます。三輪車に乗っている少女にはきっと高い壁が動いているようにしか見えないでしょう。それでも果敢に、少女は壁に向かって「ズンズン」進んで行くのです。そんな少女の後ろ姿からは、戸惑いなんて微塵も感じられません。

 少し前かがみになってペダルをこいでいる少女は、少し勾配がきつくなった橋を勢いよく進んでいます。その姿はベトナムの街中で見かけた人々のバイクの走り方と同じでした。誰かにペースを合わせるのではなく、自らの意志でハンドルを左右に動かしながら自分のペースで走っていきます。さらに坂の勾配がきつくなると、少女の体はさらに前かがみになり、より手に力を入れながらペダルをこぎ始めました。その姿からは「逞しさ」しか感じられません。そして、少女はそのまま橋を渡り切り、群衆の中に消えていったのです。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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